内視鏡治療の開発と苦難


昔は内視鏡で早期癌を発見し,外科手術で治すというスタイルが常識でした。最近は内視鏡により更に小さな早期癌が見つかるようになり,外科手術をおこなわなくて内視鏡で癌を切除してしまうことが盛んになりました。これですと数日の短期入院でがんを完全に治すことができます。内視鏡を熱心におこなっている施設では外科手術よりも内視鏡切除の方の件数が多くなった位です。ただしこれは非常に早期の癌に対してのみ可能なことですから小さいうちに発見しなければなりません。患者さんが、まじめに検診を受けられた場合にのみ可能となります。

 


今でこそ患者さんは「内視鏡で手術してください。開腹は避けたいです」と安易に希望を言いますが・・・「内視鏡手術」という言葉は、実は非常に重いです。

このサイトでは「開発の歴史」を、述べます。これは、おそらく患者さんにとっては「興味が少ない」対象かもしれません。しかし、実は「一番大事な問題」かもしれません・・・・

かって「外科学の創始者・ビルロート」は「屍の山を越えて行け」と言いました。

つまり、優秀な外科医になるには、多くの患者を犠牲(練習台)にしなければ不可能だという意味です。ビルロートは旧ドイツ帝国の医師であり、ここは典型的な全体主義国家で「科学のために個人が犠牲になるのはしかたない」というのが正義でした。ドイツ医学が非常に進歩した理由に、このような国家体制があったことは見逃せません。

しかし、現代では「患者さんの権利」が重視されます。

挑戦をしなければ新しい手技は生まれません。

しかし、挑戦が失敗した場合、患者さんは多大な被害を被り、医師は「患者を実験台にした」というレッテルを貼られ医師生命を失います。

内視鏡治療・腹腔鏡手術というのは、そのような「薄氷を踏む」覚悟で先人達が開発したものです

以下に内視鏡治療の開発に貢献した偉人をリストアップしますが・・・同時に最初に治療を受けた「無名の患者さん」も、いたことを忘れてはいけません(このリストの選考は内視鏡学会創立50周年記念に出された歴史解説の本から転載したものです。私のような若輩が、このようなリストを作ることはできません)

1968年 丹羽寛文 高周波電流による胃ポリープ切除
1968年 常岡健二 機械的締約による胃ポリープ切除
1968年 氏家忠 胃癌への抗癌剤の内視鏡的局注
1975年 林貴雄 クリップによる内視鏡的止血術
1985年 蜂巣忠 クリップによる内視鏡的止血術を改良し現在使われているタイプを開発
1983年 平尾雅紀 内視鏡下粘膜切除(ERHSE)の開発
1984年 多田正弘 内視鏡下粘膜切除(EMR)の開発
1973年 川井,相馬 内視鏡下十二指腸乳頭切開(EST)の開発
1980年 Tytgat 癌性狭窄に対する内視鏡下ステント挿入
1980年 Gauderer 内視鏡的胃瘻(PEG)の開発
1987年 Mouret 腹腔鏡下胆のう摘出術の開発

 

<大腸ポリペクトミーの歴史>内視鏡によりポリープを切除し大腸癌を予防する・・・・これは内視鏡の歴史で究極の業績といえます。多くの偉人の努力の結晶です。1960年代、丹羽博士、田島博士により大腸内視鏡が開発され1968年、丹羽博士が高周波電流で胃のポリープ切除に成功。同年、常岡博士によりワイヤー(専門的にはスネアーと呼ばれます)による胃ポリープ切除に成功。しかし、一旦、ここで開発は止まります。出血が起きた場合は緊急手術になることから危険性が指摘されたからです。その後、オリンパスの市川弘氏を通じてスネアーが米国の新谷弘美氏(大腸内視鏡の名手として既に有名でした)に渡され1969年70歳の中国人患者に対し「史上初の大腸ポリペクトミー」が成功します。しかし、ポリペクトミーが広く普及するのは林博士、蜂巣博士により「止血クリップ」が開発されてからです。

内視鏡・腹腔鏡手術は現在の「外科の花形」ですが、一方で「医療事故」の報告も多く出てきました

「流行のように盛んな」内視鏡治療は本当に患者さんのための物なのか?

今、内視鏡治療は大きな曲がり角に来ていると言えます(文責:本郷メデイカルクリニック 鈴木雄久)